グラスの向こうに見えるありふれた日常は、はたして現実なのか虚妄なのか。
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迷い込んでいく事がある。
その日友人に連れられて行った店のママは、
まさに、その狭間に住むひとだった。
たぶん、そのひとを一目見た瞬間に僕は現実と虚妄の狭間に迷い込んだらしい。
遅くまで飲んで、店を出るときには、翌日ひとりで店に行く事を
約束させられていた。
翌日、僕は現実と虚妄の狭間に迷い込んだことをはっきり自覚できた。
これを自覚できないなら、夜の街を彷徨うべきではない。
現実に引き戻された時、必ず後悔する羽目になるだろうから。
現実と虚妄の狭間に迷い込んだことを自覚し自分のいる場所がわかっていたら
いつでも、自分の意志で元の場所に戻る事が出来る。
幸いにも、僕ははっきり自覚できた。
ただ、元の場所に戻る必要がなかったこともありしばらくは
居心地のいい現実と虚妄の狭間に居座る事にした。
そして、足掛け2年間、そこを彷徨い歩いた。
もちろん、いくら居心地がいいとは言え24時間そこに居たわけではない。
陽がある間は、現実世界で生活することに決めていた。
そこを彷徨い歩いている人たちのほとんどは、僕と同じようにしていた。
僕が会ったとき、既に10年以上彷徨っていると言う人が多かった。
そして、同類意識からか、新参者の僕にみんな親切だった。
彼らもまた、その狭間に住む女性達といつも一緒だった。
僕を含め彼らの大きな楽しみは、その狭間に住む女性達を喜ばせる事だった。
いや、喜んでいる彼女達の姿を見るのが楽しかったのかもしれない。
僕達は、その狭間で恋愛に似たゲームを楽しんでいた。
そこには、一定のルールがあり、それを無視したり本物の恋愛と勘違いした
時点でゲームは終わる。
その狭間を流れる時間は時に僕達にいたずらをしかけ、ゲームなのか
本当の恋愛なのか解らなくさせる。
僕のゲームは約2年で終わってしまった。
いつかまた、居心地のいい現実と虚妄の狭間に迷い込みたいものだ。
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